旅のおすすめの本・小説編 カポーティ著 冷血の書評 - 毎日が日曜日

旅のおすすめの本・小説編 カポーティ著 冷血の書評

      2019/04/19

 

 

みなさん、こんにちわ。

ノマド旅人ビジネスオーナーの、かつお(@katsuyamamoto)です。

 

世界を1人で旅するとき、一緒に旅してくれる心強い友が、孤独を忘れさせてくれる本である。

 

先日、ヨーロッパを1人で旅しながら一気に読んでしまい、旅の後半困ってしまったくらい、おもしろくて熱中した本を紹介しよう。

 

それはカポーティの「冷血」である。

 

たしか、爆笑問題の太田光さんがテレビで紹介していたと記憶してるんですが、そのときに走り書きしてAmazonで注文してから、1年近くも読んでなかったんですよね。

 

その理由は、本の裏表紙に書かれたあらすじに「実際に起きた一家4人殺人事件」というキーワードが目に入っていたからというのと、アメリカ・ノンフィクションにありがちな、めちゃんこ小さな字とびっしり詰まった改行なしの長い文章

 

しかし、結論から言うとめちゃめちゃおもしろかった!

 

というわけで、1人旅のお供に、また、おもしろい小説をお探しのあなたに紹介します。

「冷血」のネタバレしない程度のあらすじ

 

「冷血」は1959年、アメリカのカンザス州で実際に起きた一家4人殺人事件を、当時の気鋭の作家トルーマン・カポーティが念入りに、担当刑事さながらに取材・インタビューを重ね、犯人の死刑執行までをルポしたノンフィクション・ノベル。

 

なので、作者であるトルーマン・カポーティは一切作品に登場せず(厳密に言うと終盤に一度登場する)、それがまた事件のリアリティを醸し出しているという秀作。

 

今ではこの手法は珍しくはありませんが、実はこのノンフィクション・ノベルの手法はこの「冷血」が世界初なんですね。

 

そういう意味ではまさに、コロンブスの卵ってやつです。

 

作品の冒頭、殺されたクラスター一家がいかに信心深く、主のクラスターさんは素晴らしい人徳者で、娘のナンシーはいかに愛されるべき少女であるかという紹介、そしていつもの週末(家族にとって最後の日)を過ごしたかを、リアルに描写。

 

そんな平和な田舎町の平和な一家に、ムショから出所したばかりの謎の二人組の影が忍び寄る.......。

 

もうこのあたりで、「読むのやめよかな」と思うんですよね。

 

裏表紙を読む限り、4人はロープで手を後ろで縛られ、至近距離から頭を散弾銃で打ち砕かれるという最期。

 

特に家族を持っている人からすれば、たとえ現実にあった話でも、読むに耐えない、と思うはず。

 

でも著者のカポーティは、その日の細かな描写はあえて導入部分では省略していたので、あれよあれよと言う間に読み切ってしまいました。

 

作品の終盤で犯人の供述から、その日のリアルな描写がありますが、そのときには不思議な事に犯人が主人公のようになっており、そこまで抵抗なく読むことができるはず。

 

そしてその犯人たちの、一家4人を惨殺するに至った驚くべき理由とは.....

 

このような残忍な反抗をするような犯人たちは、一体どのような家庭で育ったのか......

 

このあたりもカポーティが地道な取材と、関係者や犯人に直接インタビューを重ね、一つ一つ丁寧に紐解いていきます。

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冷血を読んで感じたこと3つ

 

さて、僕はそこまで知性が高くないので、書評でよくありがちな難解な解説は他の方に任せるとして、感じたことを3つ紹介したいと思います。

 

1 この世に神はいない

 

もうこれね、間違いないです。

 

先述したとおり、殺されたクラスター一家は、近所でも有名な篤信深いクリスチャンの一家で、タバコを吸うことも許さないくらいストイックで質素な生活を営んでいます。

 

また、街の人や使用人からの信頼も厚く、よりによってなんでこんないい人たちが........っていうね。

 

これがフィクションなら、さもありなんというところですが、実際に起きたノンフィクションだというところに、神様の悪意を感じられます。

 

これはつまり、ニーチェやリチャード・ドーキンスが言うように、まさに「神は妄想である」ということなのではないか?

 

 

言うまでもありませんが、殺した側の犯人たちは2人共無神論者です。

 

2 人格と家庭環境はやはりリンクする

 

ややもすれば差別的な表現になるので言葉に気を使いますが、やはり家庭環境と犯罪率は密接な関係があるのは間違いない。

 

カポーティはやや犯人に対して感情移入しつつも、この2人の犯人の生い立ちから犯行に至るまでを詳細に追跡、ついつい作品の主人公がこの犯人2人になっているように思ってしまう。

 

インディアンとの混血児、ペリーの生い立ちはアル中の母と無責任な父から逃れるために預けられた孤児院を兼ねた修道院で壮絶な虐待を受けており、その報いをあの一家が負う必要があったんだと、供述でも証言しています。

 

もう一人の犯人であるディックは正反対で、両親(特に母親)から溺愛されており、決して愛情の欠落があったわけではない。

 

しかしながら、作品を読み進めていくに連れてわかることは、この両親は息子の愛し方を完全に間違えてるな、と。

 

自分の息子が、それまでも何度か詐欺事件などでムショ行きになっているにも関わらず、裁判中も刑の執行前までも、息子の身の潔白を信じているというバカ親っぷり。

 

そして2人の犯罪者の家庭に共通していることは、共に極貧な一家で育ったということ。

 

「衣食足りて礼節を知る」という故事成語がありますが、やっぱり世界中の犯罪の根本的原因は経済問題なんですね。

 

だから教育がもっとも必要なんだろうな。

 

3 アメリカの人権概念の先進性

 

最後に、やや閉口しつつも驚いてしまったのは、当時のアメリカの人権という概念に対する先進性。

 

このように明らかな惨殺事件であったにも関わらず、死刑確実の獄中にあって、犯人のディックは獄中から、往生際悪く法曹界に裁判のやり直しを求める手紙を書きます。

 

理由は、陪審員が惨殺されたクラスター一家の知りあい(っていうか顔見知り程度)というのが、裁判的に不公平であるという主張。

 

僕は読みながら「こいつ頭ワイてんちゃうか?」と思いっきり思ったんですが、なんとカンザス州法曹界はこの主張を受け入れ、裁判が適正であったかどうかを再審査することになり(結局ディックの主張は却下される)、刑の執行が数年遅れたという。

 

で、この時代背景といえばまだ1960年になったばかりで、日本で言うと昭和35年。

 

日本の取調室では、「お前がやったんだろ!!」と、まだ被疑者の段階である容疑者にスタンド照明を向けながら罵声を浴びせる、、なんていうシーンがテレビドラマで当たり前の日常として放送されていた時代。

 

作品を読んでもらえるとわかりますが、この犯人2人はそのようなこともなく、穏やかな取り調べの中、最後の刑の執行される日まで、人権を尊重されているんですよね。

 

こんな国と15年前まで戦争していた日本、そりゃ勝てんわ、、、と。

 

まとめ

 

とまあつらつら書きましたが、当時のアメリカの風俗や社会通念を知ることができるのもよかったかな。

 

単に物語としてもおもしろく、普通に小説としても一気に読んでしまうはず。

 

余談ですが、著者のカポーティ自身、この作品を発表してから長編の作品を書き上げることはなく、最後はドラッッグに溺れて自殺してます。

 

映画化もされてるみたいなので、読むのはちょっとハードルが....という人は、DVDでどうぞ。

 

あと、もう読んだという人で、この作品のような事件ルポものに興味があるという方は、こちらがもおすすめです。

 

北九州で2002年に実際に起きた、一家連続監禁殺人事件のルポです。

 

ただし、めちゃくちゃ重いので、読後感に関しては当方は一切責任をもてませんので、あしからずー。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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